「道楽」という言葉の辞書的意味は「本職以外の趣味などにふけり楽しむこと」といった定義がある一方で「酒食・博打などの遊興にふけること。放蕩。遊蕩」という意味があるという。世間では、後者の意味で使われることが多いようです。たとえば、「道楽息子」という場合などです。本来は「仏道を解して楽しむ」という意味だったはずの言葉が、日常に入ってきたときにだんだん意味が変化し、放蕩や遊蕩といった感心しない意味にも使...
(侘助)私たちが普段何気なく使っている言葉の中に、何の疑いもなく定番のように使われる決まり文句があります。たとえば新聞の記事などで、どこそこで坐禅会が行われたという記事が写真付きで載ったるすると、必ずと言っていいほど「無念無想を求めて」とか「無の境地の一端に触れた」とかいう語句が決まり文句として使われ、それを読む人も何の疑いも持ちません。それで、一般の人々は「禅」というと「無念無想」を連...
それでいいんじゃないでしょうか。
「無念無想」なんてありえないのです。
そんなもの、捨ててしまえばいいです。
スッキリします。
何と私の浅はかな先入観は、菩提樹さんの、お言葉通りですね・・。
私などは人生の残り時間少なくなっていまでもまだまだ幼稚で顧みて忸怩たる思いをいたしております。
あなた様のようにボランティアの実践で活躍されている人は、理屈ばっかり言う人間よりよっぽど足が地についています。
13日深夜に東北地方を襲った震度6の地震は、10年前の東日本大震災の余震だというから驚きです。普通、余震というと本震から間を置かずに襲ってくるものという先入観を持っていたので、10年も経ってからは、全く別の新しい本震だと思ってしまう。真っ先に浮かんだのは津波の心配。「心配なし」と知らされてホッとしました。震源がもう少し浅かったら津波は起きた、という政府調査委の報告が報じられて、ゾッとした思い。ギリ...
翌日夜の「ミスターサンデー」に私の中学校の同じクラスだった東大名誉教授の地震の権威になってる笠原順三君がコメンテーターとして出ており、昔と変わらない顔にびっくり。彼が言うには次は茨木沖と東京直下が心配だと。地震王国日本ではどこで起きても不思議ではないですが、今回の地震、やはり10年前の教訓は生きておりましたね。幸い死者ゼロは不幸中の幸いでした。
それにしても、その後小さな余震が続いており、被災地の人たちはびくびくしながらの生活を余儀なくされているかと思うと心が痛みます。
何とか収まってくれることを祈っています。
麻生幾著『観月』(文藝春秋)を読んだ。この著者の作品は初めてである。大分県杵築市では幻想的な光に包まれる「観月祭」の開催を前に、街は活気に満ちていた。しかし、祭りの一週間前、地元の名産品「杵築七島藺」作家の波田野七海が突如襲われる事件が発生する。運良く顔見知りのパン屋の男性に助けられる。その翌日には、パン屋の妻が絞殺体で発見される。さらにこの殺人事件と時を同じくして、東京の多摩川沿いで首なし死体が...
大変勉強されてるお方なんですね。
菩提樹という名前をお使いですが私も菩提樹には大変縁が深く、昨年に20年以上続けてきた「天竺菩提樹を育てる会」を終了させていただきましたが、全国のご希望者にスリランカに生きる「スリーマハー菩提樹」の種から育てた苗を無料で配布してきました。7百数十人へお送りさせていただきました。しかし年には勝てません。毎年数十株を用意せねばならず少々疲れました。
今は野草を育てながらのんびりとした生活を楽しんでおります。
http://www.ogaki-tv.ne.jp/~yyy/
ブログはヤフーブログ時代から続けていまして、もう15年余になります。タイトルを「菩提樹だより」としましたのは、何にしようかなと考えているときにたまたまラジオからシューベルトの歌曲「Der Lindenbaum(菩提樹)」が流れていたので、「これが良い!」と菩提樹の名前をいただいたのです。
菩提樹という樹木のことは全然知らないのです。
申し訳ございません。
私は大丈夫ですが、随分長い地域に渡り被害が出ましたね・・。
ありがとうございます。
東北地方の人たちは大変な思いでしょうね。
ニュースを見ていて思ったのですが、10年前の大震災を経験された東北地方の被災者の話に、私たちと根性の据え方がまるで違うなと舌を巻きました。
非常食や水を常備し、家の中を改善し、またの地震に備えていて、節度ある行動は見事なものでしたね。
ビートたけし著『弔辞』(講談社)を読んだ。ビートたけしは本名北野武。東京は下町のペンキ屋の四男。なんとも刺激的なタイトルが、いかにもたけしらしい。さらに、冒頭にはたけしによる「自分への生前弔辞」が書かれている。まぁ因縁の講談社から、しかもその襲撃事件の日である12月9日に発売というのが最大の「オチ」です。芸人になることは第二希望であって、第一希望は科学者になることだったという。大学は明治大学工学部機...